コラム
萩原歳子会長を偲ぶ(3)
総務部
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会長が亡くなってからちょうど半年、会長の姿が職場から見えなくなってから7カ月が経ちました。経理の帳簿などを見ていますと昨年あたりから文字の筆圧がだんだん薄くなっているのが分かります。最後に出社したのが4月11日(金)でした。帳簿にこの日付を見つけた時は、本当に最期まで現役を貫いた会長の思いを感じます。この頃は、17時には帰宅してくれるようになっていたのですが、いつもように「お先に」と言って帰宅する時の会長の顔がなんだか寂しそうに感じられました。
病床にあっても、皆の旅行積立の返却(これが大事な人がたくさん居るのです)を忘れないようにと、何度も私に確認していました。返却が終わったことを報告すると心からほっとした様子でした。
親を見送るのはこれが4度目、つまり自分の両親、先代(萩原崇男)、そして会長です。会長は義理の母ですが、生涯で一番時間を一緒に過ごした親ということになります。
私はのどかな田舎育ちですし、特に20~30代の頃は何も分かっていない「わからずや」でしたから、会長もいらいらしたことと思います。この「わからずや」という言葉を掛けられた社員の方も多いと思います。どうして分からないの!という意味なんですが、それすらも分からない?超わからずやの時代もありました。
最期の数年間は会長が私を信頼してくれるように感じられ、次の時代を引き継ぐことを認めてもらえたのかなと思います。
親の死というと暗いイメージが浮かぶかもしれませんが、それぞれの死にとても尊いものを感じます。そしてその死によって教えてもらえることがたくさんあることに気づきます。私は会長が自分自身にとても厳しかったこと、自分を常に律して生きてきたことを今は会長の居ないこの事務所で感じています。それは自分に足りないことと感じているからなのでしょう。
今年は戦前も含めれば創立90周年という節目の年。変化対応を求められる時代の中で、100年企業を目指して、そして次の世代に引き継ぐためにも一日一日を大切にしたいと思っています。